吐露
「将来の夢」を書くごとに、私の夢はころころと変わっていた。
ある時は漫画家、ある時はデザイナー。
子どもの頃、特になりたいものが無かった私は、周りに合わせたり、その時思い浮かんだ職業を適当に書いていた。
文章を作るのは得意だったから、先生や親に特に突っ込まれないような、無難なことを書いてやり過ごしていた。
はじめて夢を持ったのは中学生の時。
私は声優を夢みていた。
自分で声を録音して聞いてみたり、色々な声優さんを調べたり、夢が広がっていった。
勇気を出して親に相談してみた。
「なれるわけないでしょ、声優なんて。」
近くにいた姉も同じことを言った。
私は、打ち砕かれた夢を拾うこともなく諦めた。
うちの両親は真面目でいい親だ。
悪いことをしたらきちんと叱り、頑張れば褒め、父親は外でしっかり稼ぎ、母親は家事や育児に奮闘していた。
おかげさまで一般的な常識は分かる大人になれたと感謝している。
人に迷惑をかけない、犯罪をしない。借金もないし、贅沢は出来ないが、特に不満もなく暮らしている。
時々、果たして私はこれで満足なのだろうかと思うことがある。
夢がたしかにあった。
声優がダメならと保育士になりたいと言ったら反対された。
「お前の性格では難しい。」と。
今になって分かる、たしかに私のオドオドした性格では保育士は難しいだろうと。
親はいつだって正しかった。親はいつだって私を理解し、道を踏み外さないように、私が挫折や後悔や失敗をしないように、助言してくれた。
親の愛を感じられるくらいに、親は私を愛してくれていた。
ただ、私は挫折や、後悔や、失敗をしたかったと思う。
するべきだったと思うのだ。
しなくていいなら、そんなものはしないほうが良いに決まってる。
何事もトントン拍子で上手くいくなら、それに越したことはない。
ただ、夢を追うに当たっては、避けられないことだと思うのだ。多分。
今、1人になった状況で「自由だよ、好きにできるよ」と言われて、果たして私に出来ることは何もないと気付いたある日。
経験も、知識も、何もない。あるのは戸籍と何もない自分しかないと。
道は踏み外さないでここまで来た。
真面目に、親の言う学校に行って、親の言う通りに地元で就職をした。吹奏楽部に入りたかったけど、スポーツ系にしなさいと言ったので弓道部にもした。親の言うことは何でも聞いて来た。それが親孝行だと思っていた。
自分の人生の半分を親に捧げるのが子の務めだと思っていた。
多分、これは正しく間違っている。
自分の人生は、誰にも邪魔をされてはいけないのだ。
それが例え自分を産んで大切に育ててくれた親であろうとも。
わたしには何もない。
自慢できる才能もない、努力の仕方も知らない、自分で歩む道の進み方どころか、歩き方さえ知らない。
親のおんぶに抱っこでここまで来た。
声優も、保育士も「やめなさい」と言われて「はい分かりました」と諦めることが出来たから、心の底からしたいことじゃなかったのかもしれないけど、あれは本当に諦めることが出来ていたのだろうか。
今、少しやりたい事があるかもしれないという段階で「それが本当に自分に向いているのか」
とか、「本当に心の底からやりたいことなのか」とか、誰にも相談しなくても自分で自分の道を決められる年齢になって随分経つのに、動けずにずっと二の足を踏みつづけている。
怖いのだ。歩くのが、動くのが、こけて怪我をした時の対処法が分からない。
だけど、本当は対処法なんてものはないと知っている。
ずっと繰り返し、それをずっと。
挫折や、後悔や、失敗をしたかったはずなのに、いざその場面になると怖くて立ちすくんでしまう。
進むのが怖い、でも進めないのも怖い。
私は一体、何がしたくて、何をしたくて、どうなりたくて、どう生きたいのか。
答えを急かすほどに分からなくなって、焦って、また今日も動かずに繰り返しの日々を過ごすのだ。
多分、来年も。