[COSMICworld]

基本的に音楽のことを駄文でつらつら綴るだけです。たまに思ったこととかポロポロと。

YouTube見てたらあべりょうの広告が流れてきて思考が一瞬停止した。

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先日、某ブンブン系YouTuberの動画を見てたら、広告であべりょうさんの『スカイダイビング中のインストラクターの裏切り』が流れてきて、突然の衝撃に思考が一瞬停止しました。

 

あまりの酷さにTwitterで検索をかけると出るわ出るわの大批判大会。

 

文句の一つでも言ってやろうかと思いましたが公式アカウントは鍵付き、動画にはコメント出来ず…。

 

呆れてなにも言えませんがあれも音楽っちゃ音楽なので、個人的にどこが問題なのかを整理してみようと思います。

 

1.あまりにも直接的な表現

 

まずはこの曲の歌詞をみてもらいたい。

性的虐待4つの被害は見られて触られ入れられ売られ
100人に1人女の子の膣 実の父親の挿入歌
性的虐待被害女児の数5万人超えで通報千人
通報されても逮捕は百人
刑務所行くのは15人
スカイダイビング中のインストラクターの裏切り
スカイダイビング中のインストラクターの裏切り
キミが自分のコトを大切だと思えない訳はコレだよ
キミの背中のメインパラシュートが開かない
親が子供のコトを大切だと思えない訳もコレだよ
キミの背中の予備のパラシュートも開かない
開かない

はげしく揺さぶり
やけどを負わせ首を絞められて溺れさせられ
家に閉じ込められる食事を与えず
自動車の中に放置する
児童虐待の被害者の数は百万人越え
通報10万通報されても逮捕は千人
誰も刑務所に行きません
スカイダイビング中のインストラクターの裏切り
児童虐待防止法の裏切り
キミがどんなに虐待通報ダイヤルにかけても無駄だよ
長すぎる音声ガイダンス待ちくたびれる
例え児童相談所が現地を訪問したとて無駄だよ
児童相談所は滅多なことで保護しない
例え虐待が証明されても親は刑務所に行かない
児童虐待防止法 罰則規定がない
救えない

 

・・・・・・・。

色々と言いたいことはありますが、ここでは2点。

①100人に1人女の子の膣 実の父親の挿入歌

②結局最後は『救えない』

 

①について、女の子の「膣」は直接表現であるのに対し、父親の暴力行為に関しては「挿入歌」と表現している。

真剣に被害状況を訴えたいのであれば「挿入歌」なんて茶化す必要はないのである。

本人的には上手いこと言えたつもりかもしれないが、これでは人の神経を逆なでするばかりで良くない。

もう少し表現について勉強しなおしたほうが賢明であると考える。

 

さらに、私が見ていた某ブンブン系YouTuberといえば、子どもに大人気の人物である。

小学校低学年なら意味も分からないかもしれないが、高学年ともなるとなんとなく言葉の意味は分かるのではないかと思う。

そうなると、この表現方法では、可能性は低いにしても何か子ども達に悪影響があるかもしれないと不安になる。

 

 

②の結局『救えない』について、歌詞を見ればわかる通り、虐待を通報しても電話が繋がりにくかったり、逮捕者の数も圧倒的に少ないといったように、この曲では被虐待児が最後まで救われることはないのである。

 

ここで彼が本当に伝えたかったのは、虐待通報ダイヤルにかけても電話が繋がらないことや、児童虐待防止法に罰則規定がないのはおかしい。どうにか整備すべきだということを訴えたいのだろうと考える。

 

しかし、その前に電話をかけても無駄、何しても無駄、と問題提起をするにしてはやけにやる気がなく、馬鹿にして茶化している。

これでは何を訴えたいのかがぼやけてしまってかえって逆効果である。

 

社会風刺をしたいと思っているのかもしれないが、伝わらなくては意味がない。

 

逆に言うと、電話が繋がらないことや児童相談所の対処が遅れたりするのは、それだけ多くの虐待疑惑があり毎日懸命に仕事しているからであると私は考える。

 

通報が無駄になることなどないのだから、茶化す時間があるのなら、一人でも多くの人たちを救えるように行動してほしい。

 

もっとも、この広告動画の最後には児童虐待を発見したら通報しましょう。といった文言がテロップで表示されるのだが、あれだけ無駄無駄言っておいて、そんなこと言われても、それこそ無駄である。

 

 

2.広告

 

とはいえ、表現の仕方は人それぞれである。

書籍、講演、簡易的なものであればSNSやブログなど、様々な媒体で自分の意見や考えを発信するのは、表現の自由である。

あべりょうに関しても、彼は音楽という媒体を使って自分の思想を発信している。

これについては他人がどうこう言えるものではない。

 

しかし、問題はその思想を「広告」という形で「半強制的に聴かされる」ことにある。

 

先にも言ったように、この曲はあまりにも表現が直接的で、後味も良いとは言えないものである。

 

広告でなく、ただYouTubeに動画をアップしているだけなら、見なければ聴かなければさえすればいい話だが、見たくなくても目に入る「広告」という媒体で発信するのはいかがなものかと思う。

 

「不快な気分になりやすい」ものを半ば強制的にみせられて、なんの感情も抱かないというのも難しい話で。

 

もっと言えば、歌詞にあるように「児童虐待の被害者の数は百万人越え」とかなり多くの被害者がいると訴えるのであれば、YouTubeのように多くの人たちが目にする場所で広告を打つというのは、少し考えものである。

 

さらに、現在被害を受けている子ども達がこの歌を聴いたとき、どのような気持ちになるか、また過去に被害を受けていた方が耳にしたときにフラッシュバックが起こるかもしれないなど、そういった配慮がなにも感じられない。

 

なぜならこの曲は「性的虐待」というワードから始まる。

広告は短くても5秒はスキップできず、その5秒の間に「見られて触られ入れられ売られ」というワードが流れてくるのである。

人の傷に塩を擦り込むことなど、5秒もあれば事足りるのだ。

 

もはやこれは広告と銘打った表現の暴力である。

 

さきほども言ったように、単に曲を作る、歌う、YouTubeにアップするということであれば問題はないが、不特定多数に無差別に発信される広告という媒体にはあまりにも不向きでないかと考える。

 

 

3.SNSが非公開・動画にコメントが出来ない

最後のポイントである。

 

冒頭で言ったように、文句の一つでも言ってやろうかとSNSを見ると鍵、動画にもコメントができない。

 

つまり、一方的に傷つけられても、それを訴える場所を用意していないのである。

 

調べると、当初は鍵もつけておらず、コメントも出来ていたようなので、この曲が思った以上に不評でとりあえず雲隠れしている状態なのであろう。

 

卑劣極まりない。

 

こういう作風は賛否両論あるのが当たり前で、否定的な意見も受け入れる度胸があってこそ認められるものだと思う。

だが逃げている。

 

これでは嫌なことを思い出してしまった人が救われない。

歌詞にある救われないを自分自身がしてしまっている。本末転倒である。

 

自分に対して肯定的な意見しか受け入れられないのであれば、肯定的な意見をくれる身内だけに公開すればいい話で、わざわざご丁寧に広告にするのならば否定的な意見をも聞き入れるべきであると思う。

 

そもそも、鍵にして逃げるくらいなら広告取りやめろよって話で。

自分は人の意見を聞き入れませんが、僕の考えは広告を使って大々的に発表するよ、傷ついた?聞こえませーん!って本当にはらわた煮えくり返る。

 

今後もこの作風で広告を打つつもりであれば、今回の炎上を自分なりに受け止めて反省し、他人を傷つけない曲づくりに励んでください。

 

 

最後に、私が見損ねたブンブン系YouTuberの動画見て心を落ち着かせてください。

 

って言おうとしたんですが、これを見ることによってこの広告が流れるかもしれないので、流れたらブラウザバックしてくださいね。

 

youtu.be

 

 

 

 

んバーイ